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【名言抄】 過去録(平成27年〜)
循環


循環

深い山の中 土やいわに染み込んだ雨が
細い水の筋を作り 麓で小川になります
その後 いくつもの合流を経て
やがて大河となり 海に流れ着きます
一粒の雨だれは 小さいものですが
小川も大河も海も 一粒が結集した水の形です

海の水は 太陽の光によって蒸発し
雲を作り 風に運ばれ
雨となって降り注ぎ ふたたび大地を潤します

太古から繰り返され
今もこれからも永遠に続く 水の循環です
(後略)
 
これは我が家の郵便受けにポスティングされていた、宗教団体と思える団体のペイパーの一節である。署名などは一切ない。思考が触発された。

 およそ45億年前、地球が誕生したとき、地球は熱い火の玉であった。厚い水蒸気と二酸化炭素のガスで覆われていた地球は、冷却されるとともに、地表に雨が降り注ぎ初期の海が形成された。その原始の海の中で生命が誕生し、進化が始まった。海と水・・・それはあらゆる生命の源。


カント


カント

人間は教育されなければならない唯一の被造物である。教育とは、すなわち養護(保育、扶養)と教授ならびにと陶冶を意味する。これにしたがって、人間は乳児であり――生徒であり――そして学生である。・・・
 人類は人間性の全自然素質を、自分自身の努力によって、自分の中から次第に取り出すべきである。ひとつの世代が次の世代を教育する。・・・
I.カント『教育学』
(三井善止編著
                    「人間学の名著を読む」より)

イマヌエル・カント(1724〜1804)
東プロイセンのケーニヒスベルクにうまれた。毎日が決められた時間通りの生活を送っていたカントが、ルソーの教育論『エミール』を読んだときは、その日課を崩してまでも読みふけった逸話は有名である。
鷲田 清一


鷲田 清一

ひとは自分の存在を意のままにしうる者であるという思考は、じぶんの存在を自由にデザインしよう、自由に制作しようという願望をつのらせる。現在では、ファッション産業から健康産業や自己改造のためのメンタル・トレーニングまで、セルフ・イメージの演出それ自体がマーケットの一角を確実に占めるようになっている。それどころか、商品だけでなく、商品への欲望そのものも生産してゆく現代産業の核になりつつある。
そして、じぶんの身体をまるで開発すべき私有財産(=私的所有物)のように感じさせるそういう思考法のなかで、ふたたびひととひととの交通が遮断されていく。・・・・

鷲田清一著
『時代のきしみ』より

鷲田清一(わしだ きよかず)
 1949年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程終了。関西大学文学部教授をへて、大阪大学大学院教授、同大学総長を歴任。現在、朝日新聞に『折々のことば』を連載中。
白鳥晴彦


白鳥晴彦

デカルトは自分の哲学を始めるにあたって、まず方法論を説きます。その方法とは、次の四つに絞ることが出来ます。
一.自分が明らかに真であると認められなければどんなものも真実と認めないこと。・・・
二.検討しようとする問題を、単純な小部分に分けて考えること。
三.単純なものや認識しやすいものから、順序よく複雑なものへの認識に向かうこと。・・・
四.これらの分析と綜合の間に見過ごしたものが全くないと確信できるほどに、広範囲に点検すること

     白鳥晴彦著
        『この一冊で<哲学>がわかる』より

白鳥 春彦「しらとり はるひこ」
青森県生まれ。独協大学外国語学部ドイツ哲学科卒業。1979〜1985年、ベルリン自由大学で、哲学・宗教・文学を学ぶ。上記の節は、近代哲学の祖、ルネ・デカルトの『方法序説』に関して述べている。
E.・.H・ノーマン


E.・.H・ノーマン

紀歴史を読むことによって得られる一つの教訓的な副産物は、何びとも勇気、社会道徳、科学的独創力ないしは芸術的想像力を自己の独占物にすることはできないということを認識することである。近代の歴史家が明らかにするまでは、一般教養人にとってさえ、頑固な偏見の対象であった一文明について、しばらく考察してみよう。それはビザンチン帝国のことであるが、この国は暗黒時代を通じて終始、それ以前の文明が残した物質的、精神的遺産を比較的高度に保存していた。

E・H・ノーマン著
『歴史の効用と楽しみ』
(「ちくま 哲学の森」所収)

E・ハーバーと・ノーマン(1909〜1957)
長野県軽井沢生まれ。カナダ国籍の歴史家。トロントのヴィクトリアカレッジ、ケンブリッジ大学でヨーロッパ中世史を専攻。東洋史に転じ、日本近代史研究のため来日、高木八尺、丸山真男らと親交を結ぶ。『忘れられた思想家―安藤昌益』など多くの日本関係の著作があり、邦訳『ハーバート・ノーマン全集』にまとめられている。カナダ大使館の外交官として滞在。そののちカイロ駐在のカナダ大使として第二次中東戦争の渦中にあって紛争解決のために活動中、アメリカ上院の「赤狩り」委員会より執拗な攻撃を受け、自ら命を絶った。
塩野七生


塩野七生

紀元前七五三年の建国から始まっておよそ八世紀にわたるローマの歴史を述べてきたわけですが、その中で改めて痛感したのは、ローマ人とはつくづく「リストラ」に長けた民族であったという事実です。
といっても私が言うリストラとは、現代の日本で使われている事業の縮小や撤退や人員の削減といった消極的な改良方法ではありません。   
この言葉の本来の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、ローマは千年にも及ぶながい歴史を持つことが出来た。同じ地中海世界に属すギリシャが文化や政治や経済において華やかな成功を収めても、その輝きが長続きしなかったのとは対照的です。
塩野七生著
『ローマから日本が見える』

塩野七生(しおのななみ)
1937年、7月7日、東京生まれ。作家
学習院大学文学部哲学科卒業後、1967〜68年にかけてイタリアで遊びつつ学ぶ。1968年より執筆活動を開始。
主な著書に『ルネッサンスの女たち』など
1992よりローマ興亡の歴史を描く『ローマ人の物語』を一年一作のペースで書き続ける。
ダーウィン


ダーウィン

自然選択がそれぞれの生物の利益になるようにしかはたらかないとしても、その作用はわれわれがさほど重要ではないと見なしがちな形質にも及ぶと考えられる。たとえば、木の葉を食べる昆虫が緑色をしていたり、樹皮をたべる昆虫がまだらの灰色をしていたりする。・・・
 チャールズ・ダーウィン著
 『種の起源』

1859年、チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)の『種の起源』の出版は、単に生物科学の分野にとどまらず、西欧における哲学や倫理に革命的な影響を与えた。書は焼かれ、ダーウィンは宗教界から激しく糾弾されたという。科学の世界では賛否をめぐって二分されたが、今日、その知見のうえに遺伝学、古生物学、生態学など諸学が形成されていったばかりでなく、西欧文明全体においても、経済学、社会学などに多大な影響を与えている。
竹内 均


竹内 均

私が初めて自然科学の面白さに触れたのは、中学生のときだった。寺田虎彦先生の随筆を読んだからだ。・・・
勉強すればするほど、自然の謎解きは面白さを増してくれた。そうしてたどり着いた結論は、自然とは縫い目のない着物のようなものだということだった。
つまり、すべてのものが必ずどこかでつながってくるのだ。一見、単純なもののなかに複雑な仕組みが隠され、複雑なもののなかに単純な真理が隠されている。それらが微妙に絡みあいながら大きな自然をつくりあげている。したがって、ある特定の分野だけを深く掘り下げてもいつかは行き詰まってしまう。なぜなら、一本の糸をたどるということは、織物全体をたどることになるからだ。あらゆる分野にまたがってくるからだ。

竹内 均(たけうち ひとし)
 1920年福井県に生まれる。地球物理学の第一人者。東京大学理学部卒。東京大学教授を経て、同名誉教授。退官後、サイエンス・マガジン『ニュートン』を創刊。小松左京原作の映画『日本沈没』で、地球物理学者として学説を紹介していた場面でご存知の方も多いのではないだろうか。
池内 了


池内 了

専門分化する一方に見える科学だが、実は総合化が迫られている分野が多い。地球環境問題一つとっても、地球科学や生態学だけでなく、経済学も社会学も人類学も関与しなければ、どのような道筋を選ぶべきかの答は見つからないであろう。医療や教育や地域問題など、私たちが抱えている多くの問題は、総合的な視点抜きでは解決できないのである。
また、現在の大量生産・大量消費・大量廃棄を前提にした技術体系は、巨大化・集中化・一様化に特化してきた。しかし、それが環境に大きな負荷をかけ、災害に弱い都市の構造にしてしまったのは事実である。それと対極的な小型化・分散化・多様化の技術体系があり得ないかを、市民と科学者・技術者が具体的に検討する必要がある。それによって、環境と共生できる新たな技術体系を生み出すことにつながっていくに違いない。
池内 了著
『ヤバンな科学』より

池内了(いけうち さとる)
1944年生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程終了。名古屋大学大学院教授。専門は宇宙物理学。星、銀河、宇宙の起源と進化について、独創的な理論を展開する国際的な天文学者。
小泉 純一郎


小泉 純一郎

高齢者だって大志を持っていいんだよ。人間、これがやりたい、ここまで到達したいという気持ちがあればね、何歳だって向上できる。・・・江戸時代の儒学者・佐藤一斎が残した私の好きな言葉があって、「少(わか)くして学べば、壮にして為す有り。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」。特に最後がいいでしょう。死して朽ちず。いくつになっても学び続けて、向上して、そんなふうに最後まで生命をまっとうしたいね。

小泉 純一郎(1942〜 )
元内閣総理大臣。神奈川県生まれ。1972年衆議院議員初当選。以後12期連続当選しながら、厚生大臣、郵政大臣などを歴任し、2001年〜06年まで内閣総理大臣として郵政改革を断行した。09年に議員引退後も、11年の東北大震災後に原発の廃止を訴えるなど、存在感を示している。(山野正義・山野学苑総長との紙上対談より)
金森誠也


金森誠也

属州と属州の間、そして属州とローマの間を繋げていたのが、有名な「ローマ道」である。・・・
ローマ道の建設技術は、エトルリア人から伝授されたといわれている。まず交通量に応じて1〜2メートル土地が掘り下げられ、そのなかに砂を敷き詰め、押し固める。その上に砕石を入れて、さらにセメント(石灰石や石膏を焼いて粉末にしたもの。当然、セメントが使われたのは、人類史上初めてだ)で固める。主要道の場合にはさらにこの上に平たい敷石が敷き詰められた。道幅は通常五メートルほどで、排水性を良くするために、道はかまぼこ状に反り返り、側溝も設けられていた。
 
金森誠也監修
       「ローマ帝国
―巨大帝国の栄光と衰亡の歴史」より

 「すべての道はローマに通ず」。初めてのローマ道、アッピア街道が建設されたのは紀元前312年のことだそうだ。ローマ道がほぼ完成したのは、アウグストゥス帝の晩年ころで、主要幹線道路だけでも八万五千キロ、総延長は三十万キロにもおよんだという。これだけでもローマ帝国の計り知れない力を感じさせる。

金森 誠也(かなもり しげなり)
 1927年生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務後、広島大学教授、静岡大学教授、日本大学教授を歴任。専門はドイツ文学、ドイツ思想。
長谷川 岳男


長谷川 岳男

ローマ世界が今日にいたるまで間断なく有してきた意義を概観するならば、「古代ローマを知る」ということは決して好古的な趣味にとどまらず、現在の西洋世界やこの要素を取り入れて150年以上経過した我々の社会を理解するうえでも不可欠であるといえるのではないだろうか。この世界は後世に基本的なパラダイムを提供し続け、それは今もってそうなのである。そして西洋世界が十九〜二十世紀にかけて地球全域に君臨したため、よくも悪しくも世界規模でこの状況は当てはまるようになった。
長谷川岳男・樋脇博敏共著
「古代ローマを知る辞典」より
 「すべての道はローマに通ず」、巨大ローマ帝国の興亡は、多くの人たちの興味を惹きつけてやまない。それはギリシャの文化と共に現代西欧文明の源泉となっている。現代文明は、大きな曲り角を迎えていることは明らかだ。それだけに、その源泉となっている「ローマ帝国」の歴史を知ることは意味があるであろう。

長谷川岳男(はせがわ たけお)1959〜
上智大学大学院文学研究科。駒澤大学、國學院大學などを経て、鎌倉女子大学教授。
毛利 博


毛利 博

強いストレスにさらされると、脳細胞を死滅させることがわかりました。その原因は、ストレスによって、血液中にステロイドホルモンが過剰に分泌され、一部の脳細胞と結合するためと考えられています。鬱病のようにクヨクヨと思い悩んでいる人の血液中にも、このホルモンが多く分泌されています。孤独な老人も同様に強いストレス下にあり、より一層の脳の萎縮がおきています。
毛利 博 著
   「心筋梗塞と脳梗塞の危険度と予防策」より

人間の大脳には若い人で百数十億個の神経細胞があるそうである。その神経細胞も決して増えることはなく、一日10万個以上の神経細胞が死んでゆくそうだ。現代はストレスに満ちあふれた時代である。心の健康のうえでも、ストレスを避け、脳細胞を活性化させることが必要なのであろう。

毛利博:1975年横浜市立大学医学部卒、医学博士。現在、藤枝市立総合病院副院長、北里大学医学部客員教授。
佐伯啓思


佐伯啓思

かくてグローバリズムのもとでは、自由貿易は決しておだやかな国際分業体制などには落ち着かない。それどころではない。何を自国の売り物にするかを各国の政府が戦略的に作り出すだろう。ここに激しい国家間競争が生じる。グローバリズムは、国境を越えた自由な貿易どころか、政府による戦略的な介入をもたらしてしまうだろう。新重商主義とでもいうべきものだ。それが、時には、保護主義ともなる。(中略)保護主義が危険なのではなく、敵対的で急激な保護政策が危険なのだ。いわば節度ある保護主義をうまく使うことを考えなければいけない時代なのである。

 佐伯啓思「異論ノススメ」より
 (朝日新聞 オピニオン欄)

佐伯啓思。 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論」など。
トランプ米国新大統領


トランプ米国新大統領

私たちの国で忘れ去られていた男性、女性は、もう忘れられた存在ではありません。すべての人々が皆さんに耳を傾けています。
何千万もの皆さんが、世界がかつて目撃したことがなかったような歴史的な運動の一部になったのです。その運動の中心にはとても大切な信念があります。国家は市民に奉仕するためにあるということです。
米国民は、子どもたちのために素晴らしい学校を求めています。家族のために安全な地域を、そして、自分たちのためによい仕事を。
そうしたことは、まっとうな市民の公正で理にかなった要求です。

大統領就任演説から
                       (朝日新聞より)

ドナルド・トランプ(1946〜 )
 ニューヨーク生まれ。16年、大統領選挙において大方の予想を覆して民主党のクリントン候補を破り、第45代大統領に就任することが決まった。物議の多い人である。17年1月20日正午に宣誓式が行なわれた。このような政治が行なわれるようにとの思いを込めて引用する。
井山裕太


井山裕太

昨年3月、世界最強棋士の一人リセドル九段を4勝1敗と圧倒したAI「アルファ碁」の出現は、私に限らず囲碁界にものすごく大きな衝撃と影響を及ぼしました。
AIと人間の対局が少ない段階でAIが人間を超えたというのはつらい。しかし超えるのは時間の問題だと思います。これからどんどん進化して神の領域に近づき、人間には理解できない手を打つようになる状況は想像がつきません。・・・
「朝日新聞」より


井山裕太
大阪生まれ。関西棋院所属の棋士。昨年前人未到の7冠独占を達成したが、秋に名人位を失い現在6冠。3月にAI「Deep Zen Go」との対極を控えての感想。
高橋まつりさんの母の手記


高橋まつりさんの母の手記

まつりの死によって、世の中が大きく動いています。まつりの死が、日本の働き方を変えることに影響を与えているとしたら、まつりの24年間の生涯が日本を揺るがしたとしたら、それはまつり自身の力かもしれないと思います。でも、まつりは、生きて社会に貢献できることを目指していたのです。そう思うと悲しくて悔しくてなりません。
人は、自分や家族の幸せのために、働いているのだと思います。仕事のために不幸になったり、命を落とすことはあってはなりません。

 一昨年のクリスマスの日、一人の若い女性が自らの手で生命を絶った。当時24歳。就職先の大手広告会社・電通での月100時間を越える残業などによる過労自殺であった。その女性、高橋まつりさんは東大文学部卒業ということもあり、深い同情と哀悼の意が寄せられている。睡眠時間が1日2時間程度、一週間で10時間ほどのこともあったという。まつりさんは、職場の長時間残業が当り前という異常さを「会社の深夜の仕事が、東京の夜景を作っている」と母親に話したそうである。
まつりさんの母親の手記にもあるように、この事件を契機に労働環境の整備にむけて大きく動き始めている。仕事場が人の幸せを築く場となるような日が来ることを年の初めの祈りの言葉にいたしたい。

福岡 伸一


福岡 伸一

私たちは今、あまりにも機械論的な自然観・生命観の内に取り囲まれている。そこでは、インプットを二倍に増やせば、アウトプットも二倍になるという線形的な比例関係で世界を制御することが至上命題となる。その結果、わたしたちは常に右上がりの効率を求め、加速し、直線的に進まされる。
それが、ある種の閉塞状況を生み、様々な環境問題をもたらした。今私たちは反省期に至りつつあることもまた事実である。私たちは線形性の幻想に疲れ、より自然なあり方に回帰しつつある。
そこでは、効率より質感が求められ、加速は等身大の速度まで減速され、直線性は循環性に置き換えられる。そういう流れこそがロハスの思考なのだ。
福岡 伸一著『動的平衡』より

福岡伸一(1959〜 )
東京都出身の分子生物学者。京都大学卒。米国ロックフェラー大学およびハーバード大学博士研究員、京都大学助教授を経て青山大学理工学部教授。
ヴォルフガング・シュトレーク


ヴォルフガング・シュトレーク

私たちが目にしてきた形のグローバル化が、終りを迎えようとしているのかもしれません。自由貿易協定も開かれすぎた国境も過去のものとなるでしょう。
米大統領選はグローバル化の敗者による反乱でした。国を開くことが、特定のエリートだけでなく全体の利益になるというイデオロギーへの反乱です。そのような敗者はさげすまれ、政治からいずれ離れるというエリートたちの楽観は、一気にしぼみました。
 
 朝日新聞でのインタビュー記事で、トランプ氏の大統領選勝利の背景を問われて上記のように述べている。さらに、「格差の広がりは、自由市場の拡大がもたらした当然の結果です。国際競争で生き残る、という旗印のもと、それぞれの国家は市場に従属するようになりました。政府が労働者や産業を守ることが難しくなったのです」、とも述べている。

ヴォルフガング・シュトレーク氏は1946年生まれ。邦訳された「時間稼ぎの資本主義」などにおける鋭い資本主義批判で世界の注目を集めている。
瀬戸内 寂聴


瀬戸内 寂聴

いつ、どこで歯車が狂ったのでしょうか。世界中の庶民は誰一人戦争など望んでいないのに、世界のうえから戦火の消えたことはなく、その血生ぐささは、日とともにますますひどくなっています。
宇宙の生命の怒りが爆発したように、この数年凄まじい天変地異が地球に押し寄せています。得体の知れない疫病が次々に発生して人々は恐怖に投げ込まれています。日本では残念ながら、自殺者が一年に3万人もいるのです。親殺し、子殺し、友達殺しなどの最悪のニュースが毎日のように伝えられています。どちらを向いても暗い。あってはならない暗い世相です。(中略)
それでも、私たちは運命に負けて絶望してはならないのです。
人間は幸福になるために、この世に送り出されてきたのです。


瀬戸内 寂聴
『寂聴 青空説法W』

 この項は、06年1月に寂聴師がイタリアで行なった講演の一節である。これが昨日行なわれたとしても全く違和感がない。それどころか、東北大震災を経験したいま、切実に感じられるのである。寂聴師は大正11年生まれ、現在94歳。徳島県で生まれる。東京女子大を卒業。作家、僧侶。著書多数。06年に文化勲章を受章。
新渡戸 稲造


新渡戸 稲造

仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への軽蔑、死への親近感をもたらした。(中略)
禅は「沈思黙考により、言語表現の範囲を超えた思考の領域へ到達しようとする人間の探究心を意味する」のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、できうれば「絶対」そのものを悟り、そしてこの「絶対」と、己自身を調和させることである。

新渡戸稲造「武士道」より
(奈良本辰也訳)

新渡戸稲造(にとべいなぞう 1862〜1933)
盛岡で生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で学んだ後にアメリカ、ドイツで農政学等を研究。帰国後は東京帝大教授、東京女子大初代学長をつとめた後、1920年から国際連盟事務次長をつとめた。英文で書かれた『武士道』は、日本人の精神を英米の教養ある人々に分かり易く説くために、ソクラテスをはじめとする西洋の精神との対比で書かれ、英米でベストセラーとなった。新渡戸は、武士のみに限らず、日本人の心の根底にはこういった「武士道」的なものが流れていたという。我々は、こういった日本精神の根底に流れているものを見失っているのではなかろうか。
齋藤 孝


齋藤 孝

昔から伝えられてきた古武道などでは、身を調え、息を調え、心を整えます。この調身調息調心は座禅や気功などで行なわれるもので、「ととのえる」には整ではなく「調」の漢字を当てるのが古来からの文字遣いでした。・・・
そうして息を調え、身を調え、心を調えてからことに臨むと、短時間に大量の勉強や仕事をこなすことができる。おそらくそれが、読書法にもつながってくると思うのです。
            竹村健一・齋藤孝 対談集
             「英語より日本語を学べ」より

齋藤 孝(1960〜 )
静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション論。「声に出して読みたい日本語」はベストセラーになる。
本庶 祐


本庶 祐

大学院の授業料は無料にすべきです。財務省は受益者負担の原則をいい、教育を受けたものが受益者だから負担しろといいます。とんでもない間違いです。受益者は国であり、国民です。知の人材を育てることこそが、国にとって一番重要なことのはずです。税金で賄うべきなのです。
朝日新聞 「インタビュー記事」より

本庶 祐(ほんじょ たすく)
1942年生まれ。京都大学名誉教授。分子生物学者。免疫の多様性にかかわる研究などで世界的に知られる。現在静岡県公立大学法人理事長。2013年、文化勲章。全く新しいがん治療役「オブジーボ」は、大学院生のちょっとした提案から基礎研究が始まり、小野薬品工業が世界に先駆けて製品化した。その業績は世界の注目を集め、ノーベル賞候補とも目されている。
田村 恵子


田村 恵子

誰しも老いて死ぬという当たり前のことが、医療の進歩とお金の力によって見えにくくなっています。このことも、命に目が向かない要因です。保険が利かない自由診療や最先端の老化防止にはかなりお金がかかります。受けるのは個人の自由ですが、死や老化が避けられるのではないか錯覚が広がってしまわないか、心配です。 
田村 恵子
(朝日新聞「オピニオン」欄より)

田村 恵子(京都大学大学院教授)
57年生まれ。がん看護専門看護師。25年間、ホスピスケアに携わる。著書に「余命18日をどう生きるか」

 空には<救命>のためのドクターヘリが飛び、街にはアンチ・エイジングを標榜する保健薬の宣伝が溢れている。<死>は遭遇してはならない、何か交通事故のようなもので、綿密は対策をたてた後は、意識のレベルからできるだけ追放する。それが現代の風潮であるようだ。だが、<死>の無いところに<生>もまた無い。<死>があればこそ<生>も輝く。むかしフランスで、反ナチのレジスタンス戦士が、「何をしていたか」と問われて、ただ一言「生きた」と答えたという。「延命として医療技術が発達した現代において、生きるとはいかなることなのか」。田村氏の意見に触発されて、ふと思った。
黒田官兵衛


黒田官兵衛

士を使ふに、第一の伝授あり。われ三十を超えて漸く合点したり。何れも心得あるべきことなり。夏の火鉢、旱の傘と云ふことをよくよく味ひ、堪忍をまもらざれば、士の我に服せぬものぞ。
火坂雅志『武士の一言』より

豊臣秀吉の天下取りを補佐した黒田官兵衛の言葉。夏の火鉢、旱(ひでり)の傘、いずれも不要なものの代表格。しかし、底冷えのする冬、土砂降りの雨のときにはなくてはならないもの、人も役に立たないように見えても、別の局面では思わぬ才能を発揮することもあるのだ。組織の統率者としては、よくよくこの道理をわきまえねば、人は信服してついてゆかないというのであろう。

黒田官兵衛(1546〜1604)
 出身は播磨国。中国攻めにやってきた羽柴秀吉に恭順して、後に参謀役として秀吉の天下取りに尽力。秀吉の死後の関が原の戦いでは、東軍に加担してほぼ九州全土を制圧して、黒田家の礎を築いた。
 火坂雅志(1956〜 )
 新潟県生まれ。早稲田大学商学部卒。商社勤務を経て作家活動に入る。上杉景勝の参謀、直江兼続を」描いた「天地人」はNHK大河ドラマの原作となる。
レヴィ ストロース


レヴィ=ストロース

生命より前に世界を、人間より前に生命を、
自己の利益の前に他人の尊重を
位置づけなければならないことを、
未開人の神話が語っているように主張することが、
今ほど必要なことはなかった。
『レヴィ=ストロース講義』より

レヴィ=ストロース(1908〜2009)
フランスの文化人類学者、思想家、民俗学者。構造主義の祖。出身はベルギーの首都ブリュッセル。ミッシェル・フーコ、ロランバルトなどに影響を与える。著書に『悲しき熱帯』『構造人類学』『野生の思考』など
ベーコン


ベーコン

よい政策は、国家の富や金銭が
少数の人の手に集中しないようにしなければならない。
富が少数の手に集中しないようにしなければ、
大きな資源のある国家でも、
飢えると言うことになるかもしれない。

「ベーコン随筆集」より

フランシス・ベーコン(1561〜1626)
イギリスのキリスト教神学者、哲学者、法律家。
現在日本の抱えている大きな問題のひとつは、格差社会の是正である。それは同時に世界が抱えている問題でもある。社会の格差が拡大して行くばかりであるならば、やがてそれは国家の分断へといたる。16世紀においてすでにベーコンがこの今日的な問題に気づいていたことは興味深い。
高橋 源一郎


高橋 源一郎

嵐が来て、海の表面がどんなに荒れ狂おうとも、少し潜れば、暗い静寂が広がっているように、社会の深層には、どんな政治的な言葉も受けつけず、身の回りの小さな日常しか信じない人たちがいる。彼らは政治家の演説する姿を見ても黙って通り過ぎるだろう。すべての政治のことばの究極の願いは、彼らに届くことばを創り出すことなのだが。
高橋 源一郎
「歩きながら、考える」より
朝日新聞より

高橋 源一郎(1951~ )
広島県尾道市出身、作家。灘高校をへて横浜国大を除籍。代表作は「日本文学盛衰史」「さよならギャングたち」「クリストファー・ロビン」など。物語の矛盾を肯定的に含むポストモダン文学。三島由紀夫賞などを受賞。競馬の評論など多方面で多彩な活動をおこなっている。
上記の言葉は、参院選挙での街頭演説を聴いて回っての感想である。20代の前半に高橋さんは臨時工として自動車工場で働いていたそうである。そこの正社員たちは、選挙が近づくと当然のように選挙の応援に行っていた。そのひとりが語った言葉が印象的だ。「誰が当選しようと知ったことかい。おれ、35年ローンで家を買ったんだ。一生奴隷が確定だ。あとは定年が来るのを待つだけ」。
山折 哲雄


山折 哲雄

いつのまにか自然と一体になっている自分を感じていたのです。不思議な体験でした。人間というものは、自分をとり巻いている自然と溶け合って一つになるような気分になったとき、静かに自分の死というものを受け入れることができるのではないか、と考えるようになったのです。
とはいっても、人間はいつの時代でも、死の恐怖に苦しみ、おびえてきました。これだけ科学技術や医療が発達しても人間はまだ「死」を乗りこえることができずに苦しんでいる。
山折哲雄著『私が死に就いて語るなら』より

山折哲雄(やまおり てつお 1931〜 )
1931年、アメリカ、サンフランシスコ生まれ。日本を代表する宗教哲学者。54年、東北大学インド哲学科卒業。東北大学大学院を経て、61年助手。民間勤務を経て、駒澤大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究所センター所長などを歴任。著書に『神と仏』『道元』『死の民俗学』など多数。
町田 洋


町田 洋

人為による環境破壊によるデメリットを強く自覚することは、将来の自然と人間の持続的発展への展望の道を開くと思われる。しかし何が過度の改変なのか、どの程度の改変が自然と共存する道なのか、人間の欲求とのバランスをいかに図るか、早急に検討すべきいろいろな問題がある。現在の環境破壊の深刻さは、我々の新しい文明のパラダイムを構築するべきまったなしの段階に来ている。

日本第四紀学会編
『地球史が語る近未来の環境』より

<町田 洋>
東京都立大学名誉教授、日本第四紀学会長。テフラ学・地形学
オバマ大統領 広島演説


オバマ大統領 広島演説

71年前、明るく雲ひとつない朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破壊できる手段を手にしたことを示したのです。
なぜ私たちはここ、広島に来たのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために来たのです。10万人を超す日本人の男女そして子供たち、数千人の朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために来たのです。彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になるのかをよく考えるように求めているのです。

 オバマ米国大統領
 
戦後最大の経済危機であったリーマン・ショック後の混乱の中、09年1月に大統領に就任。世界平和の実現に向けて、核兵器の削減・廃絶を主張してきた。09年のプラハでの演説などが評価され、同年のノーベル平和賞が授与された。これは高い理念が示されているが、具体的な成果が乏しかったことで、世界を驚かせた。しかし、オバマ大統領自身が、広島演説でも述べている。「私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって悲劇が起こる可能性は減らすことができます」と。
吉村 仁


吉村 仁

世界の資本(富の総計)は、有限で、経済は常に成長するものではない。短期投資は、その有限な資本の奪い合いである。そして、このようなギャンブル的行為を続ければ、早晩、世界の経済活動は破壊され、現代文明は崩壊へと向かうだろう。だとすれば、私たちは今、4世代以降の人類を考え、「協同行動」をとらざるを得ないのである。ここで問題なのは、利益をえた強者だけが破綻するのではなく、その系(この場合地球)にいる、貧者(弱者)も含めたすべてのメンバーに被害が及ぶことなのだ。(中略)
「強い者」は最後まで生き残れない。最後まで生き残ることができるのは、他人と共生・協力できる「共生するもの者」であることは「進化史」が私たちに教えてくれていることなのである。
吉村 仁著
「強い者は生き残れない」より

吉村 仁
1954年、神奈川県生まれ。ブリティシュ・コロンビア大学研究員、インペリアル・カレッジ個体群生物学センター研究員などをへて現在は静岡大学創造科学技術大学院教授およびニューヨーク州立大学屁委任教授、千葉大学客員教授。専門は、数理生態学、主に進化理論を研究している。
「松下 幸之助」語録


「松下 幸之助」語録

☆ やってみたいことが成功するかしないかは、その人の願望の強さ、弱さによって変わってくる。徹底的に強かったら必ず成功するが、少々希望するという程度であれば成功はしないと思う。

☆ 羊飼いは羊の本質を十分知らなければ成功しない。われわれも二十一世紀にむけて人間の本質の把握から再出発しなければならない。

☆ どんな仕事でも、自分の適正に合っていれば生きがいを感じることができるし、自ずから成果もあがってくる。そうするとその仕事を通じて社会に貢献することができるし、また自分のためにもなる。

 「松下幸之助発言集」より

<松下幸之助>
明治27年(1894)、和歌山県に生まれる。わずか10歳で大阪に丁稚奉公にでる。大阪電灯(株)の見習い工を経て、大正7年(1918)、松下電気器具製作所を設立。以来、経営に専心して現在の「パナソニック」の礎を築いた。その経営手腕は多くの人々から「経営の神様」と賞賛されている。PHP研究所を創設し、「松下政経塾」を設立するなど文化面でも多大な功績を残している。平成元年(1989)没。享年94歳
前ウルグアイ大統領
ホセ・ムヒカ


前ウルグアイ大統領
     ホセ・ムヒカ


☆ みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、少しも貧しくない。

☆ 怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これはまずい。

☆ 市場経済は放って置くと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。

前ウルグアイ大統領
ホセ・ムヒカ
                    (朝日新聞より)

ホセ・ムヒカ
前ウルグアイ大統領。1935年生まれ。左翼ゲリラ、農牧水産相を経て2014〜15年に大統領。4階建ての豪邸である大統領公邸に住まず、その質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた。いまも上院議員として、国民から強い支持を受けているが、農園に立つ質素な住宅で暮らしている。
「松下幸之助」語録


「松下幸之助」語録

☆ “人を使うは苦を使う”というように、人を使うことは決して楽なことではない。しかし、それを不平を言わず耐え忍び、そこになお喜びを感じるというところにこそ、本当に人を使う喜びが湧いてくる。
☆ 後輩に対して先輩らしい顔をするには、やはり先輩らしいものを持たないといけない。それは笑顔でも、ねぎらいの言葉でもよい。
☆ 人に何か仕事を任そうとするとき、その人が適任かどうかは、なかなか分からない。そこで六〇%はいけそうだと思えば、適任者として決めてしまう。
☆ 私は、非常に平易にものを見る、むずかしくものを見ないように、自分でいつも心がけている。
☆ 企業というものは、私事ではない、企業といえども公のことである、そういう信念に立たんと、経営は出来るものではないんですよ。

「松下幸之助発言集」より

<松下幸之助>
明治27年(1894)、和歌山県に生まれる。わずか10歳で大阪に丁稚奉公にでる。大阪電灯(株)の見習い工を経て、大正7年(1918)、松下電気器具製作所を設立。以来、経営に専心して現在の「パナソニック」の礎を築いた。その経営手腕は多くの人々から「経営の神様」と賞賛されている。PHP研究所を創設し、「松下政経塾」を設立するなど文化面でも多大な功績を残している。平成元年(1989)没。享年94歳
枡野 俊明


枡野 俊明

日本人はもともと、世界に誇るもてなしの心を持っています。お客様を迎える前に玄関に打ち水をしたり、盛り塩をしたり、部屋にはほのかな香を焚いたり・・・といった、伝統的な風習、作法は、まさにそのあらわれです。
その源泉になっているのが、茶の湯の世界でよく使われる「一期一会」の考え方です。その人と会っているこの時間は、いまこのときだけで、二度と戻ってくることはないのだ。そのかけがえのない時間を最高の時にしよう、というのが一期一会です。
枡野俊明著
『禅と食 ―「生きる」を整える』

枡野 俊明(ますの しゅんみょう)
1953年神奈川生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー。多摩美術大学環境デザイン学科教授。多摩川大学農学部卒業後、大本山総持寺で修行。禅の庭の創作活動により、国内外から高い評価を得る。
水上 勉


水上 勉

死はいつ訪れるとも限りません。突然訪れる死は受け入れるしかなく、だから昔から忌み嫌われてきました。しかし、忌み嫌っているだけでは問題は解決しません。そこで死を受け入れる、死と仲良くするという発想が出てきたのです。
良寛和尚は、「災難にかかるときはかかるがよきに候。死ぬときは死ぬがよきに候。これ災難をまぬかるる妙薬に候」と言っています。・・・
禅僧は死を受け入れるよう説いてきましたね。それは、禅宗の宗祖、達磨大師の「あるがままに生きるべし」という教えを受け継いでいるわけです。
 対談集:水上勉×ヘンリ・ミトウ
 『辞世の辞』より

水上勉(1919〜 )
福井県に生まれ、9歳で相国寺の徒弟となり、修行に励む。花園中学卒業後、寺を出て還俗。立命館大学に入るが中退して、38年に渡満。喀血して翌年帰郷し、代用教員など様々な職に就く。48年『雁の寺』で直木賞。『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』『筑前竹人形』など、映画化された作品は多数である。
蓮如


蓮如

朝に紅顔あって、夕には白骨になれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまってなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。

蓮如(1415〜1499)
親鸞聖人から八代目の蓮如上人は、四十三歳で本願寺住職となり、比叡山の圧迫を逃れ近江や越前で布教した。後に大阪に拠点を置き、山科に伽藍を建設。本願寺教団中興の祖といわれている。
アンゲルス
・シレジウス


アンゲルス・シレジウス

あなたが行けないところへ行け、
あなたの見えないものを見よ、
音の鳴り響かないものを聴け、
その時あなたは神が語りかける場にいる
 日本野鳥の会発行
 「トリーノ 2015 winter」より

アンゲルス・シレジウス(1624〜1677)は、ドイツの神秘派宗教詩人である。自己の宗教体験にもとづいて詩を作ったために<神秘派>などと呼ばれているが、現代ドイツの詩人であるリルケとも一脈通じるものがある。宗教体験に基づくゆえに、宗教体験の内容には時代や文化、言語を超越して相い響くものがあることを示すために、禅宗の人々が時々引用している
宝島社の
新聞広告


宝島社の新聞広告

人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の灰燼。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。

宝島社の新聞広告より

なんという大胆な新聞広告だろうか。1月5日の宝島社の新聞広告を見て驚いた。見開きの2ページを使って、森の小川に、右手に花を持った老婦人が静かに微笑みながら流されていく。それは英国の画家ドラクロアが描いた名画「溺れるオフィーリア」の世界そのものである。ハムレットとの恋に敗れたオフィーリアが、狂気の果てに森の小川に落ちて溺死するというあの名画面だ。「死ぬときぐらい すきにさせてよ」題して、上のフレーズが続く。
この老婦人は何を象徴しているのだろうか。もとより失った恋ではあるまい。失った精神性であろうか。これを見る一人ひとりが思い描けばよいのであろう。
貝原益軒


貝原益軒

人は金持ちになると貧しかったころを忘れ、出世するとかつての友人を忘れ、成長すると父母の恩を忘れる。
病気がなおると用心を忘れることが多い。今は安楽であっても、病気で苦しんだ時のことをいつも心に思っていなければならない。
貝原益軒『慎思録』
(原文漢文、現代語訳:野地安伯)

貝原益軒(1630〜1714)
江戸時代の儒学者・思想家。筑前の国、今の福岡県にうまれる。名は篤信。慎思録は自らの思想を断片的に収録したもので、儒家の教義、教育論、道徳観などが平明に語られている。『養生訓』は今日広く読まれている。
ドラッカー


ドラッカー

決定の基礎となった仮定を現実に照らして継続的に検証していくために、決定そのものの中にフィードバックを講じておかなければならない。
決定を行なうのは人である。ヒトは間違いを犯す。最善を尽くしたとしても必ずしも最高の決定を行なえるわけではない、最善の決定といえども間違っている可能性はある。そのうえ大きな成果をあげた決定もやがては陳腐化する。
  P.F.ドラッカー『経営者の条件』
 上田惇生監修『実践するドラッカー』所収

P.Sドラッカー(1909〜2005)
オーストリア・ウィーン生まれの経済学者。フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員を務める。1933年、ナチス・ドイツの不興を買うことを承知の論文を発表して、ロンドンへ移住。マーチャントバンクでアナリストをつとめた後、37年、渡米。ニューヨーク大学教授などを経て、71年、ロサンゼルス近郊のクレアモント大学院教授に就任。以降この地で著作とコンサルティング活動を続けた。
糸川 英夫


糸川 英夫

平賀源内が本当にやりたかったのは、今日でいえば博物学である。博物学には鉱物学、動物学、植物学の三ジャンルがある。
源内は動物学では貝の収集を主にやっている。植物学ではオリーブの木を発見している。また薬草の収集もやっているが、これは当時の医学に近い領域である。
彼が脱藩してやりたかったのは博物学であった。ならばそのためのシステムを彼なりに考えればよかったのだが、彼はその点ほとんど考えていなかったように見受けられる。
糸川 英夫著『平賀源内』より

糸川英夫
1912年、東京に生まれる。東京大学工学部航空学科卒業。工学博士。東京大学教授などを経て、組織工学研究所、種族工学研究所などを主宰した。自然科学は勿論、経済学、社会学にも通じ、バレエ、チェロ演奏も愉しむ文字通りのマルチ人間である。著書に『逆転の発想』『日本はこうなる』『日本が危ない』など多数。
これは『平賀源内』の奥付の著者紹介から転載したものであるが、一読して日本のロケット開発とくにあのペンシルロケットの開発者であり、「はやぶさ」がそこから奇跡の帰還を遂げた微惑星「イトカワ」で有名な糸川英夫博士と同一人物なのかと思われる方もいるのではなかろうか。江戸時代のマルチ人間平賀源内を現代のマルチ人間が同情を持って痛烈に批判している。
高村 薫


高村 薫

資源や、食糧や、はたまた工業生産や金融などの「選択と集中」で、60億の人間がゆたかになるというグローバル経済の夢は、本当に正しいのであろうか。・・・
むしろグローバルとは反対のこと、すなわち各々の国や地域がそれぞれに生産し消費するという基本に立ち、その上で貿易の恩恵を分け合う発展のかたちこそ、実体経済というものだと思うが、そんな地道な暮らしにもうもどれないのが、二十一世紀の人間であるか。

朝日文庫:高村薫「閑人生生」より

高村 薫(たかむらかおる)
作家。1953年大阪生まれ。国際基督教大学教養学部を卒業後、商社勤務を経て作家生活に入る。『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス対象を受賞するなどで注目を集めた。引用文は、雑誌『AERA』に連載(平成雑記帳:2007〜2009)されたものである。なお、世界の人口が60億人代というのは、08年ごろの話で、現在は70億を越えている。
村上 陽一郎


村上 陽一郎

社会が了解しつつある主張の核にあるものは、「尊厳」です。人として生きていることの自覚、そしてその自覚に基づいて判断し、行動することの方が、ただ医療技術によって肉体的に生きながらえているよりも大事だ、とする価値観のことです。・・・
終末期の緩和ケアの現場では、「遠い親戚症候群」といわれる混乱が、あちこちで起こっていると聞きます。濃厚な治療から逃れ、ようやく静かに過ごせるようになった患者のもとに、疎遠だった親戚が現れ、もっと治療できる病院へ移れと勧める。わらにもすがりたい家族が患者を説得し、初めからやり直す。
難しい問題ですが、超高齢社会に直面するいま、命と引き換えにできる価値、つまり尊厳とは何かを、考えることに意味があるのではないでしょうか。法制度、倫理、そして医療経済的な観点からも。
朝日新聞10月28日
「耕論」欄より

村上 陽一郎(むらかみ よういちろう)
東京大学、国際基督教大学名誉教授。
1936年東京都生まれ。東京大学教養学部卒、同大学院終了。専門は科学史・科学哲学。著書に『近代科学を超えて』『近代科学と聖俗革命』『生と死への眼差し』など。
山田 和樹


山田 和樹

子供のころから、音楽の聴き方が何かひとと違うとずっと思ってた。みんなが「本物」と言う演奏が、自分には全然いいと思えないことばかりで。オールマイティーを目指すことも、何だかとてもつまらなく思えた。僕は音楽から物語、温度、色彩を自由に感じたいんです。音楽はあらゆるものを超えられるから。時間までも。・・・
結局アカデミズムって、誰もがひざまずく「本物の音楽」という虚像を追い求めるものじゃないかと思うんです。でも、そもそも、そんなものあるわけないんです。
山田和樹(指揮者)
朝日新聞「フロントランナー」欄より

山田和樹
1979年、神奈川県秦野市生まれ。36歳。高校時代、吹奏楽部の指揮を託されたことから本格的に音楽の道に進む。東京藝術大学指揮科に進み、松尾葉子と小林研一郎に師事。2009年、仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。スイス・ロマンド管弦楽団の主席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、東京混声合唱団音楽監督などの要職に就任。
アレキシス
・カレル


アレキシス・カレル

人間は、その住居の快適さと平凡な贅沢さを楽しんでいるうちに、生命が必要としているものを奪われているのに気づいていない。現代の都市は、巨大な建物と暗くて狭い通りから出来ていて、街にはガソリンの臭いや有毒ガスが満ちており、タクシー、トラック、市街電車は引き裂くようなやかましい音を立て、また大勢の人で絶え間なくざわついている。明らかに、これは住民の幸福を考えて計画されたものではない。(中略)
 こう見てくると、科学と科学技術が人間のために見事に開発した環境が、当の人間には適合していないように見える。なぜなら、その環境は、真の人間の姿には関係なく、勝手に作られたものだからである。
アレキシス・カレル『人間――この未知なるもの』
松原泰道著『道元―自己をならう』より引用

アレキシス・カレル(1944年没)は、フランスの科学者・外科医で、動脈縫合の技術を開発してノーベル賞を受賞したばかりでなく、すぐれた文明批評家でもあった。現代の科学と科学技術が持つ危険な陥穽を、一世紀近くも前に鋭く指摘してきたことに驚く。ドイツの詩人リルケが、都市を捉えて、「ここではすべてのものが死滅するしかないように思える」(マルテの手記)と述べていることに相通じるであろう。超高層の摩天楼に象徴されるような現代の巨大都市は我々に何をもたらすのであろうか。
斎藤 茂吉


斎藤 茂吉

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
  足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

死に近き母の添寝(そいね)のしんしんと
  遠田のかはず天に聞こゆる

斎藤茂吉:第一歌集『赤光』より

斎藤茂吉
1882年(明治15)山形県生まれ。歌人、精神科医。
高等小学校卒業後、東京浅草の開業医で親戚の斎藤紀一に招かれ上京。開成中学から一高理科に進学、明治38年には斎藤家の養子になるとともに東京帝大医科大学に入学。中学時代から短歌を作り始め、伊東左千夫に師事。主な歌集に『赤光』、『あらたま』などがある。1953年(昭和28)没。
ジャレド・
ダイアモンド


ジャレド・ダイアモンド

グローバル化や国際貿易、ジェット機、インターネットのおかげで、今日地球上のすべての国は、イースター島の11の氏族と全く同じように、資源を共有し、お互いに影響し合っている。ポリネシアのイースター島は、地球が現在宇宙の中で孤立しているのと同じくらい、太平洋の中で孤立していた。イースター島の島民たちが苦境に陥ったとき、彼らが逃げていく場所はなかったし、助けを求めることのできる場所もなかった。これと同じように、私たち現代の地球人は、その困難が増大したならば、他に頼るところがないであろう。こういった理由から人々はイースター島の社会の崩壊を、ひとつの隠喩、すなわち私たち自身の将来において待ち受けているかもしれない最悪のシナリオと見ているのである。
『文明崩壊』

ジャレド・ダイアモンド
1937年生まれの生物地理学者。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)地理学科教授。研究領域は生理学、進化生物学、人類学にもおよぶ。その著書『銃・病原菌・鉄』は世界的ベストセラーとなった。
イースター島(謎の巨石文化)
イースター島は、チリの海岸から西方3600キロメートル離れたところにあり、日本の淡路島の3分の1ぐらいの大きさの島で巨大な石像群で有名。1722年にオランダの提督が島に上陸。当時、島民は2,000人から3,000人くらいで、洞窟に住み、互いに戦闘に明け暮れていたという。そのような島民に、数十トンもある巨大な石像を作り、運搬し、建立できるはずがないと考えられたため、「宇宙人」説も含め製作者が謎とされていた。現在の有力説は、海洋民族のポリネシア人がAD400年ごろ入植して巨石文明を作り上げたとするものである。かつてこの島には、椰子の大木などからなる亜熱帯性の豊かな森林があったが、各部族の族長たちが石像の建立を競い合い、その際、運搬に椰子の木の丸太を使い、あるいはカヌーの製作や薪炭として使ったため、森林は17世紀頃までには完全に消滅し、カヌーも作れず、島からの脱出や助けを求めることもできず、ひとつの文明が崩壊した、とされている。
五百旗頭 真


五百旗頭 真

占領とは、占領された側にとっては苦々しいもので、『よい占領』というものはありません。しかし、日本占領は『もっとも少なく悪い占領』でした。米国は真珠湾攻撃の後すぐに、日本の事情に通じた専門家を集め、3年かけて対日占領政策をつくりました。天皇制と官僚機構を残して、間接統治を行なった。ニュートラルな技術集団として官僚機構を使ったのです。既存の軍や警察、バース党などの機構を全部排除して大失敗した最近のイラク占領とは対照的で。そもそも日本の場合は、明治の自由民権運動や大正デモクラシーなど、自前の民主主義経験もあった。戦後日本は日米の共同作品だと思います。
(8月6日朝日新聞インタビュー記事より)

五百旗頭 真(いおきべ まこと)
1943年生まれ。日米関係を研究してきた政治学者。熊本県立大理事長。神戸大教授、防衛大学校長を歴任。著書に「米国の日本占領政策」「占領期 首相たちの新日本」など。
山竹 伸二


山竹 伸二

自分の抱えている不安や悩みに対して、自分の力で考えて判断し、行動することは、自分の自由な意志で生き方を決めている、という実感をともなっている。実存的な不安に人生を左右されるのではなく、この不安を出発点にして、納得のいく人生を築き上げていくために、自己の不安と向き合い、その正体を考えてみる。自分が何を恐れているのか、本当はどうしたいのか、自分の心を見つめてみる。
そこに、この不安な時代において、自由に生きる可能性が開かれるのである。
山竹伸二著
『不安の時代を生きる哲学』より

山竹伸二(1965年広島県生まれ)
大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。出版社の編集者を経て、哲学、心理学の分野で批評活動を展開中。
無数のものに囲まれ、利便性を追求してきたはずの現代生活の真只中にポッカリ開いた虚無の世界。それは人間が有限な存在であることを示している。その有限性を示すものこそ「不安」に他ならない。人間が「死への存在」であるという冷厳な事実を前にして、いかに生きるべきか、それはあらゆる時代を通じて、一人ひとりに課せられた重い課題である。
ルドルフ・
シュタイナー


ルドルフ・シュタイナー

私のまわりには 多くの生命(いのち)が生きています
私のまわりには 多くの事物(もの)があります
私の心の中でも 神様は世界に向かって
話していらっしゃいます
すべての人を愛することができれば
神様は一番よくお話してくださるのです
シュタイナー『子どもの教育』より
高橋 巌訳

ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)
ドイツの思想家。人智学の創設者。旧オーストリア・ハンガリー帝国領の辺境クラリェベック(現クロアチア領)に生まれ、ウィーン工科大学に学ぶ。1883年から97年、キュルシュナー国民文学叢書のために『ゲーテ自然科学著作集』全5巻を編集する中で、ゲーテの有機体思想、特に形態学に深い解釈を加え、新しいゲーテ解釈に道を開いた。日本では教育思想家として有名であるが、ゲーテの自然観を受け継いだ彼の影響は、宗教、芸術、教育、医療、農法等の分野にも及んでいる。シュヴァイツァー、ユング、ヘッセ、ブルーノ・ワルターなどにも深い影響を与えたといわれている。
鷲田 清一


鷲田 清一

少し前までは、物事に批判的な視点を提示するのが知的とされてきました。今は「こっちに向かうべきでは?」と、一定の方向感覚をきちんと示すことが知的と受け止められるようです。ひとつ間違えると、誰かが何でも分かりやすく言い切るのを期待する風潮にもつながりかねないのですが。

二度と読まないだろうと思っていた本を開き、今になって書かれて意味がわかることがあります。ことばの意味が本当に分かるのには、時間がかかるのだと思います。
朝日新聞15・6・21
インタビュー記事より

鷲田 清一
1949年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程終了。関西大学教授、大阪大学教授、同大学総長を歴任。現在京都市立芸儒大学学長。哲学、倫理学専攻。主な著書に『<弱さ>のちから』、『「哲学」と「てつがく」のあいだ』など多数。『ニュースの目』でも触れています。
菜根譚


菜根譚

徳は量に随って進み、量は識に由って長ず。
故に其の徳を厚くせんと欲すれば、
その量を弘(ひろ)くせざるべからず。
その量を弘くせんと欲すれば、
その識を大にせざるべからず。

<現代語訳>
徳というものは度量に従って向上し、度量は見識に従って成長するものである。そこで、その徳を厚くしようと思えば、その度量を広くしなければならぬし、その度量を広くしようと思えば、その見識を高くしなければならぬ。

洪 自誠『菜根譚』より
(岩波文庫・今井宇三郎訳注)

洪 自誠
明末の思想家。名は応明、字は自誠、還初道人と号した。出生や没年などは詳らかでない。『菜根譚』は1607〜1613年の間に成ったとされている。書名の菜根譚とは、宋の汪信民の語「人よく菜根を咬みえば、則ち百事なすべし」に基づくという。菜根は硬くて筋が多い。これを咬みしめてこそ、ものの真の味わいが分かる、というのである。訳者は「菜根という語には貧困な暮らしという響きがあるので、その貧苦の生活に十分耐えうる人物であってこそ、初めて人生百般の事業を達成することができる」と評している。因みに、洪自誠自身は三教(儒・仏・道)兼修の士であった。
捨聖・一遍上人


捨聖・一遍上人

念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賎高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をも捨て、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすてヽ申す念仏こそ、弥陀超世の本願にはかなひ候へ。かように打ちあげ打ちあげとなふれば、仏もなく我もなく、ましてし此内に兎角の道理もなし。善悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず、厭ふべからず。
梅谷繁樹著『捨聖・一遍上人』より

一遍上人(1239〜1289)
鎌倉新仏教の最後の祖師で、後に時宗(浄土教)の宗祖とされる。伊予の国(愛媛県)道後の豪族・河野通弘の子としてうまれた。諸国を遊行し信濃の国で踊念仏を創始して、各地で布教活動おこなった。このおどり念仏は、布教活動に大きな力をあたえた。一遍上人はただ南無阿弥陀仏と一遍唱えるだけで、すぐそこで極楽に往生すると説いた。主著である『一遍上人語録』は、上人の死の直前に自らすべての著書を焼いた為、一遍の言葉を弟子の智応が死後にまとめたものである。
―朱熹―


―朱熹―

謂う勿れ 今日学ばずとも 而も来日ありと
謂う勿れ 今年学ばずとも 而も来年ありと
朱熹「勧学の文」

 <大意>
 今日学問をしなくとも
明日があるといって怠けてはいけない
 今年学問をしなくとも
来年があるといって怠けてはいけない

<朱熹>(1130〜1200)
南宋の儒学者、朱熹(字は元晦)は、禅学などに対抗するため、旧来の儒教経典に新解釈を加えて、宇宙・自然の原理から社会や個人のあり方までを一貫して体系化し、いわゆる朱子学を創設した。これが中国や日本の封建思想の思想的土台となった。
上記の句に続けて謂う。なんと激しい慨嘆であろうか。
日月逝きぬ 歳(とし)我と延びず
嗚呼(ああ)老いぬ 是れ誰の愆(あやまち)ぞ
道元禅師


道元禅師

仏となるにいとやすきみちあり、
もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、
一切衆生のために、あはれみふかくして、
かみをうやまひ、しもをあはれみ、
よろずをいとふこころなく、願ふこころなくて、
こころにおもふことなく、憂ふることなき、
これを仏となづく。
またほかにたづぬることなかれ。
道元禅師(『正法眼蔵』生死)

道元禅師(1200〜1253年)
道元禅師は、1200年に久我通親を父とし、藤原基房の娘伊子を母として生れた。大変な名家の出身で、将来は太政大臣などの顕官が約束されていたが、父とは禅師の3歳の折に死別し、母も8歳のときに亡くなった。世の無常を身をもって体験した禅師は、13歳にして比叡山に上り、24歳で入宋。天童山で生涯の師と仰ぐ天童如浄禅師の下で大悟し、その衣鉢を継ぐ。1227年(28歳)に帰朝後は、師の教えに従い、都から遠く離れた越前の地に永平寺を開き、曹洞宗の基を築く。只管打座を旨とするその遺風は、その主著「正法眼蔵」を通じても現代に脈々と生きている。1253年、54歳で入滅。
大原孫三郎


大原孫三郎

「エヲカツテヨシ カネオクル」

「余がこの資産を与えられたのは、余の為にあらず、世界の為である。余に与えられしにあらず、世界に与えられたのである。余は其世界に与えられた金を以て、神の御心に依り働くものである」

「わしの眼は十年先が見える」

城山三郎著
「わしの眼は十年先が見える」
  ―大原孫三郎の生涯― より

大原孫三郎(1880〜1943)
岡山県倉敷の素封家・豪農の家に生まれ、父の幸四郎が創立した倉敷紡績を日本でも指折りの大会社に育て、中国銀行、中国電力の設立に関わり、中国新聞を経営するなどした財界人である。大原美術館の創設者であり、児島虎二郎画伯を通じて美術館所蔵の名画を購入した、といったほうが分かりやすいかもしれない。同時に社会問題に眼を向け、孤児の救済、労働問題、農業などの振興ために研究機関を設立し、私財を投じた財界人でもあった。
今回、<ニュースの目>でも取り扱っています。詳しくはそちらで。
春 3首


春 3首

石走る垂水の上のさわらびの
    萌え出る春になりにけるかも
志貴皇子(万葉集巻八)

世の中にたえて桜のなかりせば
    春の心はのどけからまし
在原業平(古今和歌集巻一)

ねがはくは花の下にて春死なむ
    その如月の望月のころ
            西行(新古今和歌集巻十七)

志貴皇子(しきのみこ)(?〜715年)
飛鳥・奈良時代の歌人。天智天皇の皇子。子の白壁王が即位して光仁天皇となるが、自身は政治の中核にかかわることはなかった。万葉集に短歌600首入集。
在原業平(ありわらのなりひら)(825〜880年)
平城天皇皇子の阿保親王の子。六歌仙の一人。奔放な生き方をし、多情多感な心情を表現した。『伊勢物語』の主人公と目されている。
西行(さいぎょう)(1118〜1190年)
鳥羽院に仕える武士であったが、23歳で出家し、諸国を行脚しつつ歌作した。家集に『山歌集』がある。
良寛禅師


<良寛禅師>

生涯身を立つるにものうく、騰騰天真に任す、
嚢中三升の米、炉辺に一束の薪、
誰か問わん迷悟のあと、何ぞ知らん名利の塵、
夜雨草庵のうち、双脚等閧ノ伸ばす
<大意>
わたしは生涯立身出世などという意志に乏しく、天然自然に任せた騰騰とした生き方をしてきた。家のなかには、三升の米が袋に入っており、炉のあたりには一束の薪が置いてあるばかりである。悟りを開いたか、迷いの世界を彷徨っているのか、人さまがどう思ってもよろしい、名誉も財力もいらない、夜降る雨のなかに、まあ濡れることなく、両足を曲げずに、ゆったりと伸ばして寝ることができる、これでよい、これでよかった。
菊村紀彦著『名僧名言辞典』より

良寛禅師(1758〜1831)
越前(新潟県)の庄屋・山本家の出。十八歳で出家、大忍に師事、曹洞禅を学ぶ。大愚と号した。三十八歳で故郷に帰り、自然のままの生活に入る。詩、書共に優れ、現在でも評価が高い。若き日の良寛禅師が修行した岡山県倉敷市玉島にある円通寺は、当時の修行生活をしのばせる。
孟子


孟子

古の君子は、過てば則ち之を改む、
今の君子は、過てば則ち之に順(したが)う。
『孟子』公孫丑下
<現代語訳>
昔の君子は、過ちだと知ればただちに之を改めたものだが、
今の君子は、過ちだと知りつつ、之をそのまま押し通そうとする。

窮すれば則ち其の身を善くし、
達すれば則ち兼ねて天下を善くする。
『孟子』尽心
<現代語訳>
志を得ずに野にあるときには、ひとり自分の身を修め、
栄達して世に用いられるときには、己のみではなく、
かねがね天下に善を導くように努力することが大切だ。

孟子(名は軻、前372?〜前289?)は、戦国時代の思想家。戦国中期、魯の隣国の鄒の生まれ。孟子の母は「孟母三遷」という故事でも有名なように、子どもの年齢に応じた教育環境を求めて三度も転居したという。孟子は幼いころから孔子を理想の聖人として仰ぎ、その教えを広めて平和を実現しようとして諸国を遊説した。人間の本性は生まれながらにして「善」であるという性善説を説く。孟子の説に反対して「性悪説」を説いたのが、荀子である。『孟子』は、儒家の基本経典、四書の一つである。
ローマ人の名言


ローマ人の名言

☆ 人生は人間に大きな苦労なしには何も与えない。
            『詩論』ホラーティウス

☆ 災難がより大きな幸運への道を開く。
            『倫理書簡集』セネカ

☆ いまの時代は、お世辞は友を、真実は、憎しみを生む。
            『アンドロス島の女』テレンティウス

☆ 命ある限り希望はある。  ローマ時代の格言

山下 太郎著
             『ローマ人の名言88』より

今回は上記の本より、ローマ人の言葉を幾つか拾ってみました。著者の山下太郎さんは西洋古典文学、ラテン語研究家。1961年、京都市生まれ。京都大学文学部、同大学院博士課程終了。京都大学助手、京都工芸繊維大学講師、助教授を経て、2004年、学校法人北白川学院理事長に就任。訳書に『キケロー選集<11>』など。
西郷 隆盛


西郷 隆盛

幾 歴 辛 酸 志 始 堅
丈 夫 玉 砕 恥 甎 全
一 家 遺 事 人 知 否
不 為 児 孫 買 美 田
幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し 
丈夫 玉砕 甎全(せんぜん)を恥ず
一家の遺事 人知るや否や
児孫の為に 美田を買わず

西郷 隆盛(1827〜1877)
西郷隆盛は明治維新の立役者の1人。南洲と号した。薩摩の下級武士の家に生まれたが、名君として知られた島津斉彬に見出されて倒幕の中心人物に押し出されていった。しかし斉彬の死後、次の藩主の久光とは折が会わず、沖永良部島に流されたこともある。維新後、征韓論に敗れて下野した西郷は、不平士族に担がれるようにして西南戦争を起こし敗死した。結句の「児孫の為に美田を買わず」という言葉は、私欲のなかった西郷の人柄を表すものとして広く語り継がれていった。
李白


李白

牀 前 看 月 光
疑 是 地 上 霜
挙 頭 望 山 月
低 頭 思 故 郷
 
牀前 月光を看る
  疑うらくは是れ地上の霜かと
  頭(こうべ)を挙げて 山月を望み
  頭を低(た)れて 故郷を思う

李白(701〜763) 
盛唐の詩人で盛唐四大家の一人。絶句に優れた作品を残した天才詩人。「詩仙」と称され、豪放・自由奔放な詩風で有名。姓は李、名は白、字は太白。「酒仙」と呼ばれるほどの酒好きで、泥酔して水面に移ったつかもうとして溺死したという伝説もある。
マララ・ユスフザイ
(ノーベル平和賞受賞者)


マララ・ユスフザイ
(ノーベル平和賞受賞者)


今は、指導者たちにいかに教育が大切か、分かってもらおうと話すときではありません。彼らはすでにわかっています。彼らの子どもはよい学校に通っているのです。今は彼らに行動を求めるときなのです。
世界の指導者たちには、団結し、教育をすべてに優先するようにお願いします。(中略)
21世紀の現代に暮らす中で、私たちは皆、不可能なことはないと信じています。月に到着することができ、まもなく火星に着陸するでしょう。それならば、この21世紀に、「すべての子どもに質の高い教育を」という私たちの夢も実現させる決意をしなければなりません。
すべての人々に平等、正義,平和をもたらしましょう。政治家や世界の指導者だけでなく、私たちが貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも。それが私たちの務めなのです。
(ノーベル賞受賞演説より)

マララ・ユスフザイ(17)さん
マララさんは、パキスタン北部の山岳地帯で生まれる。2009年から、地域を支配する武装勢力タリバーンが女子教育を弾圧する様子を、BBCの現地ブログに投稿し、大きな反響を生んだ。12年10月、タリバーンに頭と首を打たれて重体に陥ったが、英国のバーミンガムに搬送され一命を取り留めた。13年、バーミンガムの女子校に通い始め、7月の16歳の誕生日に、ニューヨークの国連本部で演説した。インドの児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティ(60)とともに14年度のノーベル平和賞を受賞した。

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